親戚も友人もいない神戸で新生活のスタート。

最初はさみしくて、近くの公衆電話から

泣きながら電話していました。

 

語学のクラスやサークルで友人が増え始めると

花の大学生活の始まりです。

また軟式テニスサークルに入ったのですが

サークルとはいえ技術の高い人がわんさかいて

とても刺激になりました。

 

年三回の合宿や大会、日々の練習で

濃い時間を過ごしました。

 

今でも忘れられない試合が一試合あります。

格上の相手と戦い、毎ゲーム惜しいところまでいくも

一歩及ばず、結果的にはストレート負け。

でも、自分の力を出し切ったすがすがしさで

全く悔しい気持ちは湧いてきませんでした。

実力を出し切るってこういうことだと感じました。

いまでも大切な経験。

 

サークルの話ばかりでしたが本業は農学部生。

農場実習で果物や野菜を収穫したり

トラクターや田植え機に乗せてもらったりと

楽しく実習や勉強をこなしながら

選んだ研究室は農薬生化学。

 

残留農薬の測定法の研究をテーマに

日々マウスと細胞を育てていました。

殺生したマウスは数知れず…。

 

研究室の仲間とは毎日顔を合わせ、まるで家族。

頭の切れる人々に囲まれ、充実した時間を過ごしました。

 

卒業後は大学院へ進学し、さらに学びを深めました。

遺伝子組み換え作物も扱う研究室だったので

この頃は、遺伝子組み換え技術は世界の食料難を救う

素晴らしいものだと思っていました。

 

立場が変わると考えもかわるもので

いまでは遺伝子組み換え作物は避けられるなら

避けたいと思っています。

 

研究室のとある飲み会で、

教授に「私はどんな仕事があってると思いますか?」と

聞いたことがありました。

返ってきた答えは「あんたはお母ちゃんや。

 

当時は、キャリア志向があったので

相当ショックを受けましたが

今その言葉を言ってもらえたら

最高の誉め言葉です!

良いお母ちゃんになれているかな。