独特な食文化を持つ街、名古屋で生まれ、

姉、弟に挟まれ3人きょうだいの真ん中として育ちました。

小さい頃はのんびり屋で泣き虫。

よく親に「のそ子」「めそ子」とからかわれていました。

特に何かに好きなことがあるわけではなく

のほほんと過ごしていましたが

頑固なところがあり、ちょっと手を焼いていたようです。

 

小さいころ、叱られるとよく家の外に放り出されたのですが

姉は、泣きわめきながらもずるずると外に出され

弟は、首根っこをつかまれながら自ら歩いて外に出され

私はというと柱にしがみついてびくとも動かなかったと

今になっても笑い話です。

 

小学生の頃は、大人しくて目立つことは嫌い。

自分ではあまり覚えていませんが

いじめにあっていたみたいです。

 

覚えているのは

休み時間に長縄をしていた時、

やたら自分の番を飛ばされるので

なんでみんな間違えるのだろうと思っていたけど

これはわざとだとはっと気づき、

違うグループの仲間に入れてもらいました。

 

いじめる人たちとわざわざ遊ぶ必要ないですからね。

この頃から鈍感力と切り替えの早さはあったようです。

 

担任の先生が大好きで、小学校3年生ごろから

毎日楽しく、明るく過ごしていました。

小学校4年生からは水泳部に入り、空いている冬季は音楽部。

その後、大会前だけ陸上部にも召集され

あれこれ掛け持ちで運動していました。

 

小さい頃はじっとしているのが好きだったのに

考えてみれば学生時代は常に運動部にはいり

体を動かしていました。底抜けな体力はここで培われたのだと思います。

 

小学校5、6年生の担任だった先生が

数学の教え方を研究されていた方で

算数がとても好きになりました。

この頃から理系の血が湧いてきました。

 

人前に出るのはとても嫌いでしたが

学級委員や児童会の役員などもやらされました。

全校集会で話す内容を考えることさえ嫌で

父親に代筆してもらっていたのは秘密…。

きっと先生にはわかっていたと思いますが。

 

当時同じクラスだった友人とは

いまでも年に1度は帰省の時に集まります。

会えば当時のあだ名で呼びあえるのが不思議です。

 

中学校へ進んでからも水泳は続けました。

プライベートで水泳を習っている子が多かったので

勝ちたい一心で練習に精を出しました。

しかし、冬の期間中は練習無し。

自主練するほどの熱意はなく

家でゴロゴロしている間にすっかり身が重くなりました。

 

この頃、塾は土曜日に通っていたのですが

平日、友達と遊ぶわけでもなく

本当に何もしていませんでした。

 

活動なような、そうでないような。

気の向くままに動いていました。

 

次は、◆青春時代のスタート◆高校~大学入学まで